2013年04月26日

清正と憶測

加藤清正、忠広の顕彰会が発足して100年経つらしく碑の建立や式典などの記念事業を計画してるようです。


水をさすようで申し訳ないが

清正の墓が鶴岡にあるっていうのは個人的にちょっと違う気がする

事の始まりは忠広が荘内に配流された際に清正の遺骨を熊本から丸岡に移した(墓掘り起こしたんかいw)らしく、鶴岡の史跡を発掘したら壺がでてきて人骨が付着しており、その壺には
正保4年12月3日(1648年)
清地院居士敬白
と書かれてたんですがね

まず
清正が死没は1611年6月
忠広の配流が1632年6月
忠広の死没が1653年6月
正応院死没が1651年6月

壺に書かれた正保とは
1644年12/16〜1648年12/15

正保4年は
1648年になる

つまり
忠広が配流された際には移してないのと12/3って何?

おそらく
一緒に五輪塔もでてきたあたり
忠広の子供のもの

だってさ、
16年後に清正の遺骨をわざわざ熊本の本妙寺から移したとは考えにくいでしょ

本妙寺からすればただの墓荒らしだよねw

そもそも本妙寺は
加藤清正の父・清忠の冥福を祈るため、日真の開山により大阪に開創されたのに始まる。清正が熊本城主になった後の1600年(慶長5年)、熊本城下に創建されていた瑞龍院に移された。1611年に清正が没し、遺言により中尾山上の浄池廟に清正像を奉安した
Wikipedia

忠広が遺言により奉安したのに
遺言無視して鶴岡に移すか?

ちなみに
清正の戒名は
淨池院殿永運日乗大居士

事実だけを見ると
清正の遺骨は移されてない

これは私の憶測w


PS
もし5百歩譲って遺骨があったとしてもさ、それってなんか違うべ鶴岡。
鶴岡には酒井がいるんだからそれでえーやないか



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Posted by 黒やぎ at 12:10│Comments(0)日々淡々
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